さかなのNEWS編集長のながさき一生です。
今日は私の今の仕事に対する想いについてお伝えします。
家業を継ぐか迷っている方や、水産業に興味があるけど、関わり方が分からない方へ、こんな生き方もあるんだなと参考になれば幸いです。
私は新潟県糸魚川市で、漁業を営む家庭に生まれ育ちました。
底びき網漁業を営む漁師の家で、祖父も父も親戚も漁師。
子どもの頃から、魚は日常そのものでした。
しかし高校3年生の春。父が乗る船が事故に遭い、大破する大事故に。
「命があって良かった」と言われるほどの衝撃で、私は初めて「漁業は命がけの仕事」だと心から実感しました。
水産学部の進路は漁師だけじゃない。魚の価値を高めることで貢献する道
私が入学したのは東京海洋大学。
もともとは心理学に興味がありましたが、結果的に水産学部に進学しました。
学んでいく中で気づいたのは、自分の関心が「魚そのもの」ではなく、「魚の価値」に向いていることでした。
自分がこうして生きて大学にいけているのは、親が魚を獲って、それがお金になって学費や生活費になっているから。
だからこそ、魚たちの命や、自分の親をはじめとする漁師さんたちが命懸けで働いてくれているところに、何か恩返しがしたいと考え始めました。
水産学部の就職先は多岐にわたります。
- 水産加工・流通企業
- 食品メーカー
- 行政機関(水産庁・自治体)
- 研究機関・大学
- ベンチャー企業やなど
私が見出したのは、「魚のブランド化」によって、水産物の価値を高め、漁師の収入と社会的地位を底上げすること。
それが、自分の家業に恩返しをする道だと気づきました。
「漁師が魚を獲りすぎたせい」? 現場を知らない批判への怒りと原動力
大学では、「魚が減ったのは漁師のせい」と語る学生の声に衝撃を受けました。
でも、私の地元では昭和50年代から地域で話し合い、水産資源を守る取り組みもしていました。
命懸けで魚を獲り、未来のために自主規制をかけ、資源を守る努力もしているのに、現場の努力を何も知らない人に非難される。
怒りで震えるほどの悔しさが、「現場のリアルを伝える」ことへの強いモチベーションになりました。
流通の最前線に出て気づいた、魚を取り巻くビジネスの姿
大学時代の恩師のもと、私は魚の地域団体商標や商標権など、ブランド化に関する研究を始めました。
「大間のマグロ」「関サバ」「越前がに」など、地域名+魚種の商標保護がどのように構築されているかを学び、流通の仕組みを知るために築地市場にも飛び込みました。
水産流通の最前線に飛び込んだ経験は、今の仕事にもつながっています。
水産業とは、魚を獲って売るだけではありません。
- 商品開発
- ブランド戦略
- 流通管理
- マーケティングやPR
- 6次産業化
など、さまざまな関わり方があります。
「魚のことを知るには、魚以外のことも知らなければならない」
実際に現場に出て、恩師の言葉を体感することになりました。
多様な関わり方が、水産業の未来をつくる

水産業は、高齢化・担い手不足・価格低迷など、多くの課題を抱えています。
だからこそ「違う視点から関わる」人材が求められています。
水産業の世界は、外から見る以上に広く、奥が深い。
だからこそ私は、これからも「現場の声」を言葉にして伝えていきたいと思います。
そして、私のように、魚や漁業の未来を信じ、支えたいと願う人が、一人でも多く増えていくことを願っています。
日本の魚ビジネスを、未来に向かってともに盛り上げていける仲間が、これからもっと増えていきますように。