近年、水産業とは関係のなかった大手企業が、新規事業として「陸上養殖」に参入するケースが増えています。
2026年7月16日に開催された「陸上養殖設備展」では、「陸上養殖のリアル」をテーマとしたセミナーが行われました。
主催は日建リース工業株式会社。登壇したのは、京王電鉄株式会社の田中亮介氏、奥江戸水産株式会社の西方亮氏、日建リース工業株式会社の吉田優喜博氏。モデレーターとして、さかなのNEWS編集長のながさき一生も登壇しました。
セミナーには約240人の申し込みがあり、当日は立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。
なぜ今、異業種の大手企業が陸上養殖に注目しているのでしょうか。
今回は、このセミナーで語られた内容をもとに、陸上養殖ビジネスの可能性と、その現実について紹介します。
なぜ今、異業種の大手企業が「陸上養殖」に参入するのか?
近年、陸上養殖が新規事業の分野として注目されています。
陸上養殖とは、海や河川ではなく、陸上に設けた水槽などの設備で魚介類を育てる養殖方法です。
陸上養殖が国の成長戦略の一つとして注目されていることに加え、技術の進歩によって養殖できる場所が大きく広がったことから、水産業とは関係のなかった企業からも関心が寄せられています。
特に、水をろ過して繰り返し使用する「閉鎖循環式陸上養殖」では、海から離れた場所でも魚を育てることができます。
例えば、東京・六本木ヒルズの一角に水槽を設置し、そこでサーモンを育てることも、技術的には可能です。
仮に「六本木サーモン」と名付けて、同じビルの飲食店で提供したら、話題になりそうですね。
こうした新たな可能性に、水産業とは異なる業界の企業が注目しています。
実際、陸上養殖設備展には、新規事業を模索する異業種の大手企業関係者も多く訪れていました。

企業内で新規事業の立ち上げが求められたり、社内ビジネスコンテストが開催されたりするなかで、陸上養殖は将来性のある事業として関心を集めています。
今回のセミナーに登壇した京王電鉄も、そうした異業種から陸上養殖に取り組む企業の一つです。
陸上養殖は儲かる?ビジネスとして成立させる難しさ
陸上養殖は、国の成長戦略でも注目されている分野ですが、事業として利益を出すことは、決して簡単ではありません。
大きな課題の一つが、コストです。
海面養殖では、基本的に海の自然環境を利用して魚を育てます。一方、陸上養殖では、水槽やろ過装置、ポンプなどの設備を整える必要があります。
そのため、養殖施設を整えるための初期投資が大きくなるだけでなく、水を循環させるための電気代など、日々の運営にもコストがかかります。

さらに、魚の品質にも課題があります。
陸上養殖では、飼育環境によって魚に独特のカビ臭や土臭さがつく場合があります。おいしい魚を安定して生産するためには、高度な技術と徹底した管理が欠かせません。
既存の海面養殖の魚がコストも低く美味しいのに対し、陸上養殖ではコストがかかる割に美味しくないという状況になってしまう場合があります。
つまり、従来の海面養殖と比べて生産コストが高いにもかかわらず、必ずしも品質の高い魚ができるとは限らないのです
また、陸上養殖は設備を導入すれば、すぐに安定した生産ができるというものでもありません。
同じ設備を使っていても、設置する場所や水の条件などによって、適切な飼育環境は異なります。そのため、実際に魚を育てながら、設備の細かな調整を繰り返す必要があります。
場合によっては、長い時間をかけて育ててきた魚が、全滅してしまうことさえあります。
こうした課題を考えると、陸上養殖は、従来の海面養殖を単純に置き換えられるものではありません。
すでに安定した生産体制がある海面養殖と、価格や品質だけで競争するのは難しいのが現実です。
だからこそ重要になるのが、「なぜ、あえて陸上で魚を育てるのか」という点です。
陸上養殖ならではの価値や、陸上養殖に取り組む意味を見いだすことが、事業を成立させるための重要な鍵となります。
その可能性を考えるうえで、興味深い事例があります。
なぜ陸上で育てるのか?「奥多摩やまめ」に見る可能性
今回のセミナーで紹介されたのが、京王電鉄などが取り組む「奥多摩やまめ」の陸上養殖です。

奥多摩やまめは、東京都が開発した独自のヤマメの品種です。
通常のヤマメとは異なり、成熟を抑えることで大型に育つ特徴があります。脂がのった柔らかい身と、絹のようになめらかな舌触りが魅力で、高級魚としての価値も期待されています。
しかし近年、奥多摩やまめの養殖を取り巻く環境は厳しさを増しています。
豪雨などの自然災害に加え、夏場の水温上昇によって、従来の養殖方法では安定して育てることが難しくなっているのです。
そこで期待されているのが、陸上養殖です。
陸上養殖であれば、水温や水質などの飼育環境を管理できるため、自然環境の変化による影響を抑え、安定した生産につなげられる可能性があります。
さらに、奥多摩やまめには「東京産の魚」という付加価値もあります。
東京には数多くの高級ホテルや飲食店があり、地域の食材を積極的に取り入れたいというニーズもあります。
さらに、京王電鉄が持つ鉄道ネットワークを活用すれば、奥多摩やまめを生きたまま都心へ輸送することも可能です。
東京で育てられた希少な魚を、新鮮な状態で飲食店へ届けられることは、奥多摩やまめの新たな付加価値につながるでしょう。

つまり、奥多摩やまめの陸上養殖には、単に魚を生産するだけでなく、気候変動などによって養殖が難しくなっている魚を守り、東京ならではの食材として新たな価値を生み出すという意味があるのです。
もちろん、奥多摩やまめは育成に時間がかかるなど、事業化に向けた課題も残されています。
それでも、従来の方法では養殖が難しくなっている魚を育てられることや、地域性を生かした高付加価値の商品として販売できる可能性は、陸上養殖ならではの強みといえるでしょう。
陸上養殖ビジネスには、まだまだ高い壁がある
今回のセミナーで印象的だったのが、登壇者から語られた「陸上養殖を続けるために最も大切なのは、熱意である」という言葉です。
陸上養殖はまだ技術面でも収益面でも課題の多い分野です。事業として成立させるまでには、長い時間と試行錯誤が必要になります。
そうした壁を乗り越えていくためには、「儲かりそうだから」「将来性があるから」という理由だけでなく、なぜ陸上養殖に取り組むのか、何を実現したいのかという強い思いが必要なのでしょう。
陸上養殖に取り組む際には、技術的に安定した生産ができるのか、コストに見合った価格で販売できるのか、継続的な需要があるのかなど、慎重に検証しながら、取り組むことが欠かせません。
陸上養殖が注目を集める今だからこそ、「なぜ、その魚を陸上で育てるのか」という問いに向き合うことが、事業の可能性を広げるうえで重要になってくるのではないでしょうか。

