三陸では、カレーにアワビを入れることがあるそうです。
しかも、給料日前で肉を買うお金がないので、仕方なくアワビを入れるという、都会で暮らしていると、思わず「逆では?」と言いたくなる話です。
しかし魚の産地では、都会で高級品として扱われている魚介類が、驚くほど身近な存在であることがあります。
先ほどのアワビも、漁師の家庭であれば、自分たちで獲ったものや分け前として手に入るため、店で現金を払って買わずに食べられることがあります。
ある場所ではタダ同然の魚介が、場所を変えれば何万円もの価値がつくこともあるのが、魚の面白さでもあります。
魚の価値は、いったいどこで決まるのでしょうか。
日常の魚は安く、特別な魚は高く。進む魚の「二極化」
これは以前からあった傾向ですが、魚の価値の二極化が進んでいるように感じられます。
スーパーで日常的に買う魚には、できるだけ安さが求められる。
一方で、特別な日に食べる魚や、お取り寄せする魚には、しっかりお金をかける人がいます。
同じ「魚を買う」という行為でも、その中身はまったく違うのです。
たとえるなら、プラモデルが好きな人が、好きな模型にお金を使うようなもの。
同じように、魚が好きな人は魚にお金を使います。
高いお金を払う人は、「食料としての魚」ではなく、「趣味としての魚」を求めているのです。
「高い!」と「安い!」が同時に起きる、産地の不思議
魚の価値をさらに複雑にしているのが、産地と消費地の感覚の違いです。
たとえば魚の産地にある料理店で、鮮度の良い刺身を3点、5点と盛り合わせ、一人2,000円弱ほどで提供したとします。
すると、地元の人からは「なんでそんなに高いの?」と言われ、外から訪れた観光客には、「こんなに安くていいんですか?」と言われることがあります。
まったく同じ料理を出しているにもかかわらず、評価が正反対になるのです。
さかなのNEWS編集長のながさきが、和歌山県白浜周辺を訪れた際にも、そんな価値観の違いを感じる場面がありました。
夕方に地元のスーパーへ行くと、マグロの刺身の柵に半額シールが貼られていました。
和歌山県は生鮮マグロの水揚げで知られる地域です。
ながさきの感覚では、半額になっていても、東京で通常価格で販売されているマグロより鮮度が良いと感じるほどだったといいます。これは、東京から来た人間からすれば「絶対に買い」ですね。
しかし、日常的に新鮮なマグロを食べている地元の人からすると、「これだけ時間が経ったのだから半額で当然」という感覚なのかもしれません。
高知県中土佐町の土佐久礼でも、同じようなことがありました。
カツオの産地として知られる地域だけに、地元の人はカツオの鮮度に非常に厳しくなっています。
地元では「良くない」と評価されるカツオでも、外から来た人なら十分に良い魚だと感じることがあります。
つまり産地には、品質の低い魚が安く売られているのではなく、高品質な魚が日常にありすぎるため、その価値が見えにくくなっているケースがあるのです。
魚ビジネスのヒントは「価値の差」にある?
物価が上がれば、10円の商品が20円になることはあります。
しかし、極端な話をすると、0円のものは何をかけても0円のままです。
地域には今も「ほとんど0円」のように扱われている資源があります。だからこそ、そこには可能性があります。
見方を変えるだけで、これまで価値がないと思われていたものが、大きな価値を持つかもしれません。
すでにそこにあるものを見直し、
「この魚を欲しがる人は、別の場所にいるのではないか」
「届け方を変えれば、もっと価値を感じてもらえるのではないか」
と考えることも、新しいビジネスの入口になります。
魚の世界には、そんな「価値の差」がたくさんあります。
そのズレこそが、水産業のややこしさであり、同時に面白さでもあるのでしょう。

